正座するブログ

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「みんなでやろう!の呪い」の回


「若者の○○離れ」が意味すること 同調圧力からの解放か、娯楽を楽しむお金がないだけか(キャリコネニュース)





どーも、 @ です✋🏻✋🏻✋🏻



展示会の委員になった

会社全体で行う展示会があるのだが、それの部署の代表として会議に出席することになった。先月からその会議があるのだが、それがとても長い。さらに人が多い。キックオフミーティングは、拠点も合わせてテレビ会議で30人くらいいた。拠点の人が映る画面が小さいのでよく分からなかったのだが。Skypeでいいぢゃんって思うのだが、頑なに使い方が複雑な円い機材を使っているのだ。

テーマを決めるのに何日かかるのか!

会社全体の展示会ということもあり、テーマや展示の内容を全社員から募集するかのだ。300人規模の会社なので、そこまで難しくはないが、この集めたテーマから委員は話合いテーマを決めるのだが、それが長い。昨日も17:00から始まり19:30まで、やって決まらなかった。前回は2時間くらい「展示かの在り方」について議論したという経緯がある。「在り方」なんか偉い人で決めればよいのだ。それをベースにやることのアイディア出しやブレストにリソースを割けばよい。ただでさえ、通常業務で時間がないと騒いでいるのに、入稿直前の2時間半を失うのは痛い。もう泣きたい。入稿、間に合うかなー。

そもそも人数が多すぎる

当たり前だが、物事を決めるときには、決定権のある人が少ない人数で話した方が早く決まる。今回の会議は決定権のある人もいて20人くらいだった。5人ずつで、それぞれ1個のお題についてブレストした方が、よっぽど早いしクオリティが上がるのだ。

「みんなでやろう!」の呪い

少人数で別れて、それぞれ別のことをすれば早いのに、それをしないのはなぜだろうか。愚私め的には、学校教育の「みんなでやろう!」という精神が植え付けられているのが原因ではないかと思う。例えば、全員出席記録のために平日に学校を休んでレジャーへ行けないという類のあれだ。会社で言うと、同じ時間に出社して、数十年変化のない朝礼とかやっちゃうあれだ。住んでる場所も家庭環境も仕事内容も違うのに、同じ時間に出社しなければならない理由はないはずだ。その「みんなでやろう!」から抜けようとすると、「ずるい」「非国民」とか言われるのだ。我々は、戦後70年以上も経ってるのに、同じ呪縛から逃れられないのだ。

人数と質の関係

人数が増えるということは、一人あたりの質は下がる。学校の20人学級と40人学級を考えてもらえば分かりやすい。最近、会社の課内で上司や先輩が講師となって、定期ミーティング後の1時間くらい基礎的な知識を教えてくれる勉強会が開始されたのだが、他の課の人が「私も私も」増えてしまった。しかも、増えた人達にまでスケジュールを合わせることになり、日程が遅れるという本末転倒なことが起こっている。講義よりゼミや研究の方が圧倒的に勉強になるように、一人あたりの質が下がると言うことは、同じ時間をかけている限り損をしているのだ。

生産性が低いのは当然

昨今、日本の生産性の低さが、よく指摘されているが「みんなでやろう!」の呪いがある限り生産性は上がらない。それどころか、その呪いを無視して「個人の努力で能力を上げろ!」とか言うのだ。そして、各々が竹槍でどんだけ努力したかを提出させるのだ。しかも、紙で。

ブラックフレームマン
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東京で玩具の商品開発をする会社員(90分間ノンストップでしゃべることができる)